Hail Hail
2007年1月2日(月) その3
20分ぐらいでギャロウゲートのパブエリアにたどり着きまずはベアーズバーへ入る。
試合後の店の中は入場規制はかかってはいないがキャパの8割ぐらいの入りで当然混雑している。
2006年からイギリス及びアイルランドでは店内禁煙の法律が施行され、パブの中は全面禁煙となった。
そのため、営業が立ちいかなくなり潰れたパブも出始めている。ベアーズバーでもドアの外ではたくさんのスモーカーがタバコでモクモクと白煙を上げている。
店の中でギネスを注文し、モニターに映るラーションのビデオを見ながらギネスを飲む。前回会ったトニーやバラ、マーガレットがいるかと思ったが、知っている顔はなかった。
グループで来ているなら途中でグラスを置いてタバコに行けるのだが、外での飲酒は禁止だし、中での喫煙も禁止だから、飲み終えるまでタバコはお預け。
飲み終わった後、ベアーズバーを出て外へ。貴重なタバコを吸いながら道の反対側の方へふらふら歩いていると、セルティックファンの若いにーちゃんに「Hey Japanese!」と声をかけられる。
一緒に飲もうぜ、というので、ついていきBar 67へ。
誘ってくれたファンの名前はマーティンでデリーの出身。他に一緒に飲んでいる仲間は、アンソニー、ステフ、ゴードン、ジュニア、そしてギャリー。
最初に、マーティンが一杯奢ってくれて、グラスが空きかけた頃には、さらに一杯、二杯と次々と新たなパイントグラスが置かれていく。
テレビモニターではスカイTVのスポーツニュースが流れているのだが、レンジャースの監督のポールルグエンやバリーファーガソンがモニタに映し出されると、皆一斉にブーイング!
自分も酔った勢いでハンドジェスチャーをテレビに向かってすると、みんな大喜び!、こいつ知ってるなと認められさらに打ち解ける。
たくさん奢ってくれたお礼に持ってきていたCSCのバッジやオリジナルの鉢巻をプレゼントすると大人気で喜んでくれた。
Hail Hail the Celts are here, The Fields of Athenry, Willy Maley,Over and Over , You’ll Never Walk Alone, など、知っているセルティックソングを肩を組んで一緒に大声で歌い、大いに飲み大いに笑う。
歌詞がめちゃくちゃでもオッケーだし、歌詞を覚えてない曲もあったが、なんとなくそんな感じで合わせてればいい。
それより、ファンとの距離を縮める、ファン同士の連帯を強めるのは、世代を超えて一緒に歌える歌があること。
世代間の話題の差はあるのは当然だし、国籍、言語、地域の差だってあるけど、その垣根を簡単に超えられるのは一緒に盛り上がれる歌を置いて他にない。子供向けではなくどの世代でも歌える歌が一番重要。(だって子供向けなら大人になったら歌わなくなるけど、大人向けの歌なら子供の頃は真似しかできなくても、覚えれば一生歌えるんだし)
そんな大盛り上がりな中、気がつくと昼も食べてないし、空腹の中、昼間から合わせて7パイントは飲んでいるので、かなり大酔っ払い(@ ̄ρ ̄@)
いろいろ飲みながら話しているなかでみんなから口すっぱくして言われたのは、「グラスゴーのシティセンターのなかでは、セルティックカラー(緑と白)は身につけるな」ということ。
飲みに誘ってくれたマーティンとデリーやベルファストの状況を聞いていると、3枚のCD(当時はDVDがまだそこまで流通せず)をくれた。1枚はオールドファームのビデオ、1枚はグラスゴーのアイリッシュレベルソングのミュージシャン、「ガリー、オグ」のCD、そして最後は、日本ではテロ組織として認知されてしまっているIRAのDVDだった。
コピー品だけど、プレゼントにありがとうと言って受け取る。
5パイント目が空いた頃、この後どうすると聞かれたので、さすがにもうヘロヘロだから皆と別れて帰ることに。
その際、一緒に飲んでた仲間の一人ギャリー(彼とは今でも会っている)に付き添いされてシティセンターへ戻ることに。
歩いてセントラル駅までたどり着くと日本人の団体客がいたので、ギャリーが英語でセルティックのことを話しかけ、日本語で説明してあげる。彼らはぽかんとしていたが。。
ギャリーとはここで別れて、駅でソーセージとチップスを買い、タクシーでホテルへ。「レンフルーストリート」も「シスルホテル」も発音が通じず、すったもんだ。結局もう少し遠いブキャナンバスステーションまで行ってもらい、そこから雨のなか歩いて帰り、せっかく買ったソーセージをあまり食べられずにそのままベッドでバタンキュー。
やっぱりセルティックファンとの交流はこの上なく楽しい時間だった。
次の日に続く。
Pingback: 友情は再度時間と距離を超えて(Aus. パース vol.7) | セルティック ライフ〜Celtic Life in Japan