Hail Hail

 

今はJリーグや日本代表で活躍してなくても、高校、ユースレベルで注目されただけでも海外へ移籍できてしまう時代なので、かなりのサッカーファンであってもどこのクラブに誰が所属しているかすべて把握している人はもしかしたらそれほど多くはないのかもしれません。

そんな中で、宮市亮(みやいちりょう)選手は、海外へ旅立った日本人選手の中で有名な方ではないかと思われます。

もし、ご存知ない人のために簡単なプロフィールを。

宮市選手は、1992年愛知県生まれ。

少年時代から各年代別の代表に選ばれ、高校は地元の中京大中京高校に進学し全国選手権出場。
その才能を、ロンドンのフランス人ショタ◯ン監督(又の名を◯ェンゲルとも言います)の必殺技、青田買いにあい、名門アーセナルへ入団。

その類まれなる足の速さとスピードを生かしたドリブル突破を武器に活躍が見込まれたが、この有名フランス人監督の若手有望選手をたくさん連れてきて飼い殺す独自の策略により、出場機会を得ぬまま、フェイエノールト、ボルトン、ウィガン等へレンタル移籍。レンタル先ではそこそこファンに愛されるものの年の近いジャック・ウィルシャーやアレックスチェンバレンに先を越され出場機会を得ぬまま、また海外移籍してからほぼ毎年のように怪我や負傷が祟って1シーズンフルにコンディション維持することができなく、泣く泣くイングランドを去ることに。

そしてフリーで移籍してきたのがドイツブンデスリーガ2部のFC St. Pauli(サンパウリ)なのです。(しかしシーズン開幕前に負傷して手術し、現在は復帰してトップチームで練習中)

このサンパウリ、ドイツ北部にあるドイツ最大の港湾都市ハンブルグにあるフットボールクラブ。

ハンブルグといえば、1983年にマイティマウス、ケビンキーガンや、選手時代より監督時代の方が日本でおなじみのフェリックスマガトを要し、ヨーロッパを制したり、元日本代表、高原直泰が所属してハットトリックを決めたこともあるハンブルガーSVが有名ですが、ハンブルグにはもう一つプロクラブ、それがFCサンパウリです。

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クラブ本来のクレスト、茶色と赤がクラブカラー

FCサンパウリは、1910年に創立した、文字どおりハンブルグのザンクトパウリ地区にあるフットボールクラブ。

100年以上の歴史の中でトップリーグにいた時期はわずかで、ほとんどが2部、80年代と2000年代には3部も経験し、最近では2010-11シーズンにブンデスリーガに昇格しましたが、ハンブルガーSVとのハンブルグダービーで勝利するものの1年で降格しました。2015-16シーズンもプレイオフ圏内に近い位置にいるんですが、昇格は難しそうです。ちなみに宮市選手の前に、日本人二人目のブンデスリーガー、尾崎加寿夫選手も88-89シーズンにプレーしていました。

クラブは70年代まで一般的なクラブで、ハンブルガーSVに圧倒的人気差をつけられ、70年代後半には経営状況悪化によりアマチュア(3部)まで降格させられました。

しかし80年代中盤から、ファンが中心となって独自のスタンスを取るようになり、その方面での人気を集めクラブの財政改善に貢献します。

それは「カルトクラブ」への変貌です。

70年代から80年代にかけて、西側ヨーロッパでは、(当時は東=共産圏、西=民主主義圏に分かれていた)反共産主義的時代背景から、外国人排斥やナショナリズム、ファシズムを標榜する右翼組織に扇動され、ナショナリズム活動が各地で盛んになっていました。
労働者を中心としたファン層が多いフットボールファンもその影響を受け、職場の閉鎖や賃金カット、大量の一斉解雇などの煽りを受け社会や政府に不満を持っている時に右翼組織に扇動されフーリガニズムが右傾化していったクラブも多くありました。

ちょっとここらへんの話は詳しくすると本筋からそれるので話を元に戻しますが、

 

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ユニークなドクロを使ったクレスト、これもオフィシャルとして使われている

そんな中FCサンパウリのサポーター達は、その流れに逆らい当時流行っていたパンクロックの思想、アナーキズムや反体制、反戦、反核、反差別、相互援助の方針をフットボールクラブに持ち込んだのです。

前述したように特に80年代になってからはフーリガニズムがヨーロッパを蔓延し、スタジアム内外での暴力行為が社会問題化していましたが、FCサンパウリのサポーターはスタジアムに右翼的なバナーを使った主張、団体の入場をドイツで初めて一切排除したクラブでもあります。

 

 

また、ザンクトパウリ地区がヨーロッパでも有数の歓楽街、「リーパーバーン」がある地区としても有名で、ゲイ、レズビアン、性別、人種、国籍に対する反差別を標榜するようになってから、リーパーバーンで働く人たちにとっても象徴的なクラブとして支持を集めるようになり、90年代に入ってからは、地元ハンブルグ、ドイツ国内はもとより世界中でそのスタイルが共感を呼び、徐々に人気が拡大して、スタジアムでも2万人を超える動員を誇るようになりました。


2011年に行われたハンブルグダービーの様子(by BBC)

FCサンパウリを支持するフットボールクラブのファンも多く、特に労働者支持をポリシーとするクラブと連携を取っています。イタリアのテルナーナやイスラエルのマッカビテルアビブとの連携していますが、もっとも関係が深いのが、そう、セルティックなのです。

起源は定かではありませんがおそらく90年代ぐらいからと思われ、相互のファンの行き来と交流から始まりました。その政治的、立場的主張が一緒のことから急速に交流が拡大しましたが、それよりも、お互いのファンがパーティ好き!のため、仲良く一緒に飲んで歌って騒いで盛り上がることでもっと仲良くなったそうです。

その経緯もあり、今では毎年リーパーバーンで、セルティックFCサンパウリパーティが行われて双方のファンがライブあり、試合観戦あり、パーティありで盛り上がるのですが、今年は今週の土曜日に開催予定です。


2010年ごろのパーティの様子。

なんと実は、そのパーティに参加してきます!(鼻息)

おそらくこのパーティへの参加も日本人セルティックファンとしては初であろう試み、しかも週末行われるFCサンパウリの試合は、なんとウルトラスのいるゴール裏のチケットを用意してもらいました。(汗)
そこにセルティックのストリップを着て堂々乗り込みます。

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数年前に地元のHUBで会ったザンクトパウリのファン、マイケル。

熱いですよねー、FCサンパウリ。ファンのスタンスに大いに影響を与えたパンクロックは僕も10代、20代とめちゃくちゃ聞いてたので、主義主張を今はあまり持ってませんが、このかっこよさは非常に共感します。

セルティックも”パンク”なクラブなので、好きになったところもあるのですが、ザンクトパウリのインパクトはそれ以上かも。

余談ですが、地元のHUBで飲んでいた時に出張で来日してきたマイケルというFCサンパウリのファンに声をかけ仲良くなりましたが、超ナイスガイで、彼もぜひFCサンパウリに来いと言ってくれてましたので楽しみです。

 

 

 

 

どんなハプニングが起こるか今からドキドキですが、この模様は環境が整えば随時ブログで更新していきます。また、それが叶わない時でも帰国後すぐに更新していきますのでご覧いただければと思います。

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