Hail Hail
第7章 東の輝く星 (原題:A Star in The East) その1
ステインの異なった足を引きずることは、暗闇から出てきて力を輝きに傾けた選手の個性から、監督として成功のきらめく頂点へ向けて上昇することで、不変のものとなった。
ただ、時々、高揚感、もしくは憤怒で、彼にとってどちらの感情かがより適している時、足を引きずることは”不恰好に歩く”と言われているようだった。
しかし、トラックスーツか、お気に入りのネイビーブルーのオーバーコートをよく着て、我々のほとんどを苦しめる磨耗の過程に影響されない男のもろさをよりコンスタントに示していた。
選手を褒めるためにとめどなくピッチでスキップしていたり、ジミー・ジョンストンに追いつくために片足をひきづってセルティックパークのトンネルを上っていったり、あたかもクランプに足が挟まったまま長い旅をしていた車から出て歩き去っていったり、椅子から立ち上がったり、肩を押し出したり、あたかも弱い方の足の方をテコにしたり、記者会見場を出るときに不均衡な方法で歩いたり、意図的に向かってきたりするときに、彼の足は不思議なビートを刻んだ。
人々は全員、彼の栄光や挫折とともに彼のその姿をあたかも、判別用の透かしのように記憶にとどめていた。
彼は足首に爆弾を抱えていた。
1955年8月31日のレンジャーズ相手のリーグカップのときに相手フォワードのビリー・シンプソンと激突して倒れこんだ時に、彼はけがをした。
これがステインにとって選手生活に終わりを告げる第一歩となってしまった。
この怪我で17試合を欠場し、12月17日のパーティックシスル戦で復帰し、5-1の勝利に再びキャプテンとして復帰したかに見えたが、足首のけがが再発し、またも数試合欠場し、その後また復帰したが実際に足首は無理な状態になっていた。
一連の経緯が衰弱させていて、1956年1月2日に行われたセルティックパークのレンジャーズ戦で南アフリカ出身の猛々しく、正確には”サイ”と呼ばれたドン・キッチンブランドにペースを握られ試合の唯一のゴールを、献上してしまった。
ステインはこのシーズン、全51試合中、12試合の出場にとどまってしまった。
そして彼のセルティック最後の試合がやってきた。
1956年の5月にステインの最高の友人であるバーティ・ピーコックの地元である、北アイルランドのキャロラインで行われたフレンドリーマッチがその最後の試合になった。
彼の足首が選手のレベルで持ったのは最後となったのはそこでだった。
ピーコックは、”その時はそこまでひどいとは思わなかった”と語った。
”彼はボールに向かってジャンプし、足をついて横転し、ペナルティエリアで足首を固定してプレイしていたんだ。 接触プレイはなかったよ。あったのは単に着地するときだけだった。
何かが、行われているようだった。 思い出すのは彼が考えるべき痛みを抱えていたことで、もちろん彼はベンチに下がったさ。
ただ、それが、彼がセルティックのユニフォームを着る最後の姿になろうとは夢にも思わなかったけどね。”
2週かんごの6月10日、デイリー・エクスプレス紙によると、ステインは骨の小結節の除去手術のためにグラスゴー王立病院に行っていた。
さらに伝えるところによると、近日中にレスターシティに去る予定のセルティックのトレイナー、アレック・ドーデルズは、この手術でステインのけがが克服され、100%の状態で、新しいシーズンに間に合うことを望んでいる。と話した。
ステイン自身も医療チームはすべての治療を行っていると話し、”手術を行って以来膝は非常に痛みを感じていたし、この問題が常態化しているものかどうか、調べるためにここに戻ってきている。
以前はシーズン最初の頃体を絞るために、ハードなトレーニングを重ねてきたが、今は痛みとそれによる2週間近くの不眠のせいで、すでに10kg近く体重を落としてしまったよ。”
彼は経過観察のため1週間入院し、その後帰宅した。
セルティックは彼の足首のジレンマが解決されるまで、トレーニングに参加することを許さない決定をくだした。
ピーコックは、ステインと彼の妻が病院から退院し、静養のためブラックプールへ向かった。最初は療養だと思われていたし、彼はしばらくそこに滞在していた。
彼の足首は、痒くなり、痛みは悪化し、もはや耐え難きものになっていた。彼は足首のジョイント周りに固められたギプスの中に指を入れておし下げることを強いられた。
様々な怪我によって鍛錬されたとはいえ、ステインは、自分がある種の感傷的になっていてことにショックを受けた。
彼の足首は完治に向かっていく慣例的な手術を受けた後に、逆に腐食していった。(彼の妻ジーンはのちにこれは下手な縫合が原因だったと語った)
この時点で彼は人々に最悪のことが起こりうると伝えていた。そしてそれは彼の言うとおりになった。
”何が正しい医療的表現なのかわからないけど、彼はこういったんだ、「凍った」。足首が凍ったようになったんだ と。
彼はジョイントを動かすことができなかった。終わりなんだ。
未だにピッチへ出向いてもっとフットボールをプレイしたい大男が、この状況にどれほどの感情になっているか想像できるだろうか。もちろんわかり得るわけない。
そして、彼の選手生活はこれで幕を下ろしたんだ。 誰もが受け入れがたいことではあったけどね。
しかし彼、そう、今話している試合をこよなく愛している偉大なキャプテンの一人、は、なかなか寝付くことができなかった。
フットボールこそが彼の全てだったんだ。
いいや、このことは少なくとも私は驚かない。なぜなら彼は強い意志を持ってこの困難を乗り越え偉大な監督となるのだからね。
しかし、その当時は彼とその家族は将来について不安を感じていたんだ。” とピーコックは話した。
しかしボブ・ケリーは、そのままステインを野に放つ(セルティックとの契約なしでフリーにさせる)気はなかった。
その2へ続く。