Hail Hail
第3章 あるローバーズの選手(原題:A Rover) その3
戦時下での予備職業となっていたが、彼が以前は炭坑員だった事実がありながら、ローバーズでの最初の一年は明らかにレギュラーとして充実していた。
他のたくさんのチームと同様にローバーズも毎回11人の選手を集めるのに苦労していた。(戦時下だったため)18人もの選手を軍隊に召集され、毎試合10人ほどの選手を入れ替え、試用期間中や期限付きで移籍していた選手を呼び、ある選手は司令官に外出許可をもらってプレイしていた。
この選手集めの混乱の中で、若い、巨躯のセンターバックは、チーム内唯一のレギュラーとなり、実際2等兵でしかなかったのが、准将の地位を引き受けていた。これは彼のもともと持つ彼の右足のハンディキャップと、フットボールの才能の相互作用によって、徴兵を避けられたためであった。
ウィリアム・ウォーカーは”彼は入団当時からクラブを移籍するまであまり変えたりしなかった。 そのことは致命的になはならない、ただ、働きに出てきてそして帰っていく、という印象なんだ。 燃え立つようなものは何もなかった。
そしてもちろん、彼の限定されたものが何かすぐにわかるだろう。一つは彼の右足さ、彼は右足でボールを強く蹴れなかった。だから主に左足と右膝を使ってプレイをしていたんだ。”と語った。
彼の膝を使ったフットボールのスタイルはローバーズで確立した。のちのインタビューで彼が南アフリカ出身のドゥギー・ウォレスの助けを受け、特別な身体的特徴を使ったプレイを特に二人がウェールズのラネリーでプレイした時に発展させたと語った。
しかし、アダム・マクリーンは、彼はクリフトンヒルではスキルを磨くのに練習したこととその記憶を忘れてしまったことに苦しんでいたと感じている。
それからの4年間、戦争が終結するまでの間、法的に週給2ポンドでローバーズに所属したパートタイムの選手たちは、時に驚くべき勝利と時に完膚なきまでの惨敗を喫しながら、1942-43シーズンのサザンリーグを14位で終えた。
ステインは個人的に打ち明け始めた。
生活のために炭坑で働くのはそれほどハードではない、彼は、週末ごとの敗戦による痛みで、落胆したかもしれない精神的弱さを支え続けなかればならなかった。
事実、この状況を耐え続けるために、後年、役に立った彼のウィットさの鎧とレーピア(刀剣)は、このころ鍛造され始めていた。
”あるイーストファイフとの試合の時、彼は相当ひどかった” ウィリアム・ウォーカーは語った。
”ステインと他の選手たちはちんちんにやられていた。 それを見て特にテラスにいたサポーターの一団が、ジョックにひどい言葉を浴びせたんだ。彼がボールに触れられなかったことに対し、「とっとと出て行けこのアホンダラ!」と叫んで,それを何度も彼がこれ以上耐えられなくなるまで繰り返したんだ。
そしてタッチライン越しに来るチャンスを彼が得た時、彼はボールをテラスの集団に思いっきり投げつけて、そこにいた全員が聞こえるような大声でこういったんだ。
「俺がアホンダラか? じゃあ、お前らはそのアホンダラを金を払って見に来たアホンダラじゃないか!」
おそらく、やりすぎだったかもしれない。しかし、どんな過酷な状況でも打ち負かす鋭利な弁舌を使うステインの能力の一端を見せてくれた。
彼は明らかにフットボールの熱心な探求者だった。お粗末なチームで退屈にかろうじて営んでいるような選手などではなかった。
ステインが加入した3年後のデビュー戦で地元のローバーズを勝利に導く決勝ゴールを決めたフォワードのアダム・マクリーンは、入団直後から、ステインがいついかなる時もフットボールの技術に興味を持っていることにすぐ気がついた。
”入団初日の練習が終わって座っていたらある男が自分に対して、シニアとジュニアを含めたどの選手が右足利きか左足利きかを尋ねるクイズを出してきたんだ。
そして、宗教的な意味じゃなく、彼は座って分析したんだ。それがジョックステインだった。
このような深い分析を聞けた機会が人生であったのは、アーセナルのブライン・ジョーンズと一緒に練習した時と陸軍にいた時だけだった。しかし、スコットランドでこんなに詳しい分析を聞いたことはなかった。”
ステインは明らかに自分でプレイするよりもうまく試合をどうプレイさせるかに魅入られていた。
しかし、実際には彼が他の選手とチームの発展に興味を持つ理由があった。それは彼が徐々にだが事実上監督になり始めていたのであった。
ステインは、監督のウェバー・リーズが今まで選手に指示してきたことよりも多くの戦術を語ったのであった。
アダム・マクリーンによると、”彼はチームを掌握した。監督を自分の小指で包み隠すことができた。監督は、ジョックのいいなりになったんだ”
そして彼の試合に対するのめり込みはもともとの狡猾さに支えられて、ローバーズで現れ始めた。
その4へ続く。
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