Hail Hail

49年前の1967年5月25日、セルティックはインテルを破り英国初のヨーロッパチャンピオンに輝きました!

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試合のハイライトはこちら。

チャンピオンズカップ決勝 セルティック x インテル  1967年5月25日@リスボン

当時のスタッツはこちら。

シュート数: Celtic 45, Inter Milan 3
枠内シュート数: Celtic 16, Inter Milan 3
枠外シュート数: Celtic 29 (バーやポスト直撃 x3), Inter Milan 0
ボールボゼッション: Celtic 64%, Inter Milan 36%
クロスボール数: Celtic 40, Inter Milan 4
コーナーキック: Celtic 10, Inter Milan 0
パス成功数: Celtic 310, Inter Milan 224
パスミス: Celtic 49, Inter Milan 79
キーパーへのバックパス: Celtic 7, Inter Milan 20
ファウル数: Celtic 19, Inter Milan 21
オフサイド: Celtic 5, Inter Milan 1

ジョックステイン監督の言葉。
「我々はフットボールを楽しむことで勝ったんだ。しかも純粋で独創的なフットボールでね。」

GK:ロニー・シンプソン、
DF:ジム・クレイグ、ビリー・マクニール、ジョン・クラーク、トミー・ゲミル
MF:ボビー・マードック、バーティ・オールド、ジミー・ジョンストン
FW:ボビー・レノックス、スティービー・チャルマース、ウィリー・ウォレス
控えGK : ジョン・ファロン
得点者
サンドロマッツォーラ (PK) – 7′ – [0-1] トミー・ゲミル- 63′ – [1-1] スティービー・チャルマース – 84′ – [2-1]

セルティックの偉業その1 英国初のヨーロッパチャンピオン

チャンピオンズリーグの前身、欧州チャンピオンズカップが初めて開催されたのが、1956年、レアルマドリーの5連覇に始まり、ベンフィカ、ミラン、インテルとラテン系の国が覇権を握っていました。イングランドは当初、参加を表明しませんでしたが、2年目からフットボールの母国の威信をかけて覇権を目指すも、どうしても準決勝の壁を越えられず敗退していました。
スコットランド勢もレンジャース、ハイバーニアン、ハーツなどが出場しましたが、1963年のダンディーFC!の準決勝が最高でした。
つまりセルティックは英国初の決勝進出チームであり、同時に優勝したチームでもあったのです。

しかもその相手が、「グランデインテル」と呼ばれ64,65と連覇を果たしていたイタリアのインテルでした。
前のシーズンも優勝したレアルマドリー相手に敗退するも、準決勝進出と4年連続で準決勝、うち3度は決勝進出と、大本命と目されての決勝戦でした。

しかし、上記のスタッツをご覧いただければわかる通り、インテルがラッキーなPKで先制したのもあり、得意の「カテナチオ」でゴール前に鍵をかけたので、2013年のセルティック x バルサのように一方的な試合展開となりました。

前半は0-1のままで推移しましたが、後半ゴールをこじ開けたのが、なんとDFのトミーゲミルのミドルシュートだったのです。その後も攻め続け、ついに84分ボビーマードックのシュートを前線にいたチャルマースがコースを変えてゴール!前評判を覆しこれが決勝点となりました。

セルティックは、この後のシーズンも決勝進出1回、準決勝3回と国内9連覇の間に実績を重ね、優勝こそ1回だけにとどまりましたが、ヨーロッパで確固たる地位を築いたのでした。

セルティックの偉業その2 ヨーロッパ初の「3冠達成」

セルティックのチャンピオンズカップ優勝は、このシーズンさらなる栄光をもたらしました。
このシーズンスコットランドでも無敵を誇り、国内リーグ、スコティッシュカップ、さらにはリーグカップ、そして当時行っていたグラスゴーカップと全タイトルを総なめにし、レアルマドリーでもミランやインテルでも成し遂げたことのない、ヨーロッパのクラブで初めてチャンピオンズカップ、国内リーグ、国内カップの「3冠」を成し遂げました。
リーグカップ等を入れると実際には5冠にもなりますが。

この3冠は、現在まででもヨーロッパでは「たったの7チーム」だけしか達成していません。

なみに現在までにそのトレブルを達成したのは、アヤックス(72年)、PSV(88年)、マンチェスターユナイテッド(99年)、バルセロナ(09年、15年)、インテル(10年)、バイエルン(13年)

セルティックの偉業 その3 栄光の「リスボンライオンズ」は全員地元出身!

セルティックが優勝した1960年代も決勝で対戦したインテルやレアルマドリー、ミランなどには、外国人選手が少ないながらもプレーしていました。(主に自国系の選手が多かったですが)
しかし、セルティックは、登録選手15人中14人までがセルティックパークから10マイル(約16km)以内に生まれ育った地元の選手のみで構成されたチームでした。(10マイル以上離れたところ出身のボビーレノックスも30マイル)

さらにこれはあまり知られていませんが、セルティック、といえば四つ葉のクローバーをクレストにしているように、アイリッシュ移民のカソリック教徒のためのクラブ。というイメージがあります。
確かに間違いではないのですが、昔からもっとオープンに開かれたクラブとして宗旨や人種を問わず受け入れてきたクラブでした。

そのため、栄光のリスボンライオンズのうち監督のジョックステイン、そしてバーティオールド、ロニーシンプソン、ジョンクラーク、トミーゲミルはプロテスタントです。

もちろんどちらの宗派なのかは関係なく全員がレジェンドですし、セルティックファンの中でそれを引き合いに出す人はまずいません。

セルティックファンにとってリスボンライオンの選手、コーチ、監督は永遠にヒーローであり、
5月25日はセルティックファンにとって特別な日なのです。

 

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