Hail Hail

6月8日(月) その2、の前に

ちょっと閑話休題。

今回の旅の主目的である、NAFCSC Convention 2015とは何か。そしてなぜラスベガスで2年に1度行われているのか、を前置きとしてご紹介。(本ブログには似つかわしくないまじめなお話をちょこっと)

そもそも、セルティックFCというクラブは、スコットランドのグラスゴーが本拠地であるが、18世紀の産業革命以降、クライド川沿岸の造船業で栄えたグラスゴーに、職と食を求めてアイルランドから移り住んできたカソリック系住民がたくさんいた。

彼らの多くは貧しかったが、困窮する彼らをチャリティで助けるために、カソリック宣教師、ウォルフリード修道士が1888年に設立したフットボールクラブがセルティックFCである。

 

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ウォルフリード修道士(正確には牧師じゃないらしい)の銅像。


もうひとつ歴史的な背景として、アイルランドは第二次世界大戦後までイングランドの統治下にあり、農業以外の産業が盛んではなかったため、仕事を求めイングランドやスコットランドへ出稼ぎに行ったり、移住したりしていたが、
19世紀に起こったじゃがいも飢饉で農業が壊滅的になり、多くのアイルランド人がアメリカへ移住していった。
(ここらへんは「アンジェラの灰」などの映画で見ることをおすすめ)

アンジェラの灰。アイルランド好きな人には必見の映画。
ロバートカーライルはグラスゴー出身、だけどパーティックシスルのファン。

その後もアイリッシュ同様スコティッシュも仕事や家族、そして太陽!を求め、今に至るまで各国に移住していったが、仕事だけじゃなく家族や親戚に頼ることも多いので、他よりも北米2カ国への移住が多くを占めているようである。

最近では女子を中心とするアメリカ代表や、各国スーパースターが引退前に一花咲かそうと移籍するMLSの存在で、アメリカにおけるサッカーの認知は多少なりとも上がってきたが、かつては「サッカー不毛の地」と呼ばれ、
4大スポーツの人気にははるか及ばなかった。

過去1950年のW杯でイングランドを破る大金星をあげたり、

1970年の北米サッカーリーグでペレやベッケンバウアーを呼んで、華々しく盛り上げようとしたが、
どれもその後の成功までは結びつかなかった。


ジェラルド・バトラー in THE GAME OF LIVES ゲーム・オブ・ライブズ[ジェラルド・バトラー/ウェス・ベントリー]
アメリカ代表の奇跡的勝利を映画化した作品。
ご存知主役のジェラルドバトラーは、グラスゴー出身のセルティックファン

しかし、アイルランド、スコットランド移民はもちろん、イタリア、ドイツなどのヨーロッパ移民の中では、興行としてのサッカーは盛り上がってなかったが、限られた情報の中で、自分のアイデンティティーとなるクラブを代々応援していたようである。

そんな背景の中、セルティックは北米に移住したアイリッシュやスコティッシュコミュニティのクラブとして応援され続け、現在に至るのである。

故に北米各地で生活するセルティックサポーターが運営するローカルのサポーターズクラブをまとめる組織、
NAFCSC(北米セルティックサポータークラブ協会)が、2年に1度、各地で活動するサポーターとの交流の場として、

また、世界中に散らばる、彼らの家族や他のサポーターと楽しむ場として、ラスベガスのホテルを押さえて、1週間に渡るコンベンションを開催しているのである。

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今回会場のウェストゲート ラスベガス


このコンベンションには、セルティックサポーターなら誰でも参加可能だが、今までスコティッシュやアイリッシュに起源を持たないノンネイティブのサポーターの参加はまれだった。
(結婚相手やパートナーがアイリッシュやスコティッシュではない場合でパートナーと参加とかはあるみたい)

そんな中、アジアから日本と韓国のローカルサポーターが参加するのは、今回が初めてのようである。

 

日韓両CSCの代表が初めてコンベンションへ参加!

日韓両CSCの代表が初めてコンベンションへ参加!

まあ、本人からしたら、単にいままで休めなかったので、行けなかっただけ、なんだけど。(⌒-⌒; )(さすがに6月に一週間は休んだことない)

主催者や参加したサポーターからは非常に歴史的なことのようで、めちゃめちゃ歓迎してくれたのであるが、
それを今後のブログで、写真中心に!!! 紹介したい。(ほぼほぼ酔ってたので、結構薄い内容の旅行記となる、予定)( ;´Д`)