Hail Hail

 

50年前の5月25日、セルティックはフットボールの母国イギリスで”初めて”ヨーロッパ王者になりました!

イギリスという表現には語弊がありますが。。。
フットボールの母国は正確にはイングランドなので、セルティックのあるスコットランドは母国と言う表現もちょっと正確性に欠けますが、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北部アイルランドのいわゆるUK(グレートブリテン)、国としてのイギリスをなしている4つの地域(パスポート範囲の国との区別のためあえて地域と呼びます)を、
「ホームネイション」と地元でも呼ばれ、フットボールの母国扱いになっていますので、タイトルもほぼ正確と言ってもいいのではないでしょうか。

そのフットボールの「ホームネイション」で、”初めて”ヨーロッパ王者となったということは、どれだけの価値があるか想像できるでしょうか。


その昔、ワールドカップでさえ母国とはレベルが違うと参加を断った経緯があるホームネイションの代表チーム並びにクラブチームは、その発祥地ゆえのプライドと、歴史的の実力差から、他のヨーロッパの国々、チームから「別格」とされてきました。


そのため、ホームネイション内での対戦の方が、ヨーロッパの他のクラブ、代表との戦いよりも”はるかに”重要視されていました。


しかし、フットボールという競技の人気性とルールの単純さからあっという間に世界中に広がり各国々でクラブやリーグが行われ独自の発展を遂げてきた中で、当然湧いてくる疑問が、「どのチームが一番強いのか」ということで、現在はチャンピオンズリーグとして隆盛していますが、1955年に、スコットランドのハイバーニアンとイングランドのウォルバーハンプトン・ワンダラーズが大会開催のきっかけとなったものの、当初はイングランド勢は参加せず16チームで欧州チャンピオンズカップが始まりました。


初回のハイバーニアンに続き、第2回からイングランドのマンチェスターユナイテッドが鳴り物入りで参加しましたが、優勝候補として臨んだもの両チームとも準決勝で敗退するという屈辱を味わい、リベンジを期して臨んだ1958年のシーズンも不幸なことに準決勝に臨んだマンチェスターユナイテッドの選手、スタッフが乗った飛行機が離陸に失敗し選手の大半の命を奪うという「ミュンヘンの悲劇」によって、ミランとの準決勝で敗退し、以後10年以上に渡ってホームネイションとしてのプライドが傷つけられ続けるという事態が続いていました。


ちょっと前置きが長くなりましたが、そのような背景がある中でセルティックの成し遂げた優勝はホームネーションのプライドを復権させるきっかけとなり、さらにはあらゆる面でイングランドの後塵を拝していたスコットランドの人々にとって溜飲を下げる、(たとえレンジャーズファンであっても)出来事であったのです。

GK:ロニー・シンプソン、DF:ジム・クレイグ,トミー・ゲミル,ボビー・マードック,ビリー・マクニール,MF: ジョー・クラーク,ジミー・ジョンストン, ウィリー・ウォレス, FW: スティービー・チャルマース, バーティ・オールド, ボビー・レノックス サブGK: ジョン・ファロン、監督:ジョック・ステイン、コーチ:ショーン・ファロン、トレーナー:ニール・モーカン


昨日行われた、セルティックパークの隣にあるSSE Hydro(Emirates Arena)で行われたリスボンライオンズ50周年記念イベントでメインゲストとして招待された、サー・アレックスファーガソンは、BBCのインタビューで、
”セルティックのリスボンライオンズが成し遂げた功績はフットボール史上最大の功績である”

と述べました。

インタビューの全文はこちら

http://www.bbc.com/sport/football/40053489

セルティックパークの半径25マイル(30km)以内に育った選手のみで構成された選手たちだけで、当時ヨーロッパの巨人であった”グランデ”インテル相手に、一時代を築いた得意のカテナチオを40本のシュートを浴びせかけ、2-1で逆転して力でねじ伏せたアタッキングフットボールは、その後のオランダで花開いたトータルフットボールの原型と呼ばれました。

インテル戦のイレブンの出身地。ボビー・レノックスだけソルトコーツとちょっと離れてますが、グラスゴー周辺の出身。

しかも、当時レンジャーズでは監督、選手はおろかスタッフに至るまでカソリックの人々を一切採用しない姿勢を貫いていましたが、(ケニー・ダルグリッシュはレンジャーズファンでレンジャーズのテストを受けたが、カソリックということでトライアルに落ちセルティックに入団したのは有名な話)セルティックは常にオープンでチームにはプロテスタントの選手を歴史的に加入させていました。

 

 
さらに、ジョックステインがセルティック史上、初めてスコットランド出身のプロテスタントが監督として就任したのですが、元セルティックのキャプテンを務めたステインでさえも就任にあたってはさすがにボード内でも反対意見が多かったようです。
しかし、それを押し切って就任すると、1965年シーズンから国内リーグ9連覇を成し遂げ、ヨーロッパカップを勝ち取った1966-67シーズンは、トレブル(国内リーグ、カップ、ヨーロッパカップ)を達成しました。

歓喜の瞬間!

この偉業達成50周年に対してスコットランド議会でも、”ディベート”という名のスピーチが行われセルティックの功績に対して祝辞が述べられました。

そして、昨日はグラスゴーと決勝の地、リスボンでそれぞれ記念のイベントが盛大に行われました。

 

ブレンダン・ロジャース登場!

ロッド・スチュアートのライブ!

You’ll Never Walk Alone

リスボンにて。

その2 Grace


そして、セルティックファンが今後も一生刻み続けるであろう試合、「Celti x Inter」をどうぞ。
(セルティックのプレイスタイルが、イングランドの縦ポン、キックアンドラッシュとは一線を画していることが、如実にわかるかと思います。イングランドとスコットランドのフットボールはスタイルが違うのです)