Hail Hail
第5章 栄光の年 (原題:Crowning Year) その4
セルティックは1953年5月にミドルズブラから選手を獲得した。彼の名前はニール・モーカン、彼は熱狂的なセルティックファンでもあった。
モーカンは以前スコットランドのモートン(クライド川河口沿いの町)でプレイしており、ステインの一番の友人となり、その後仕事も一緒にした仲でもある。
結果論的ではあるが、バーティ・ピーコックはどれだけモーカンの加入が大きかったかを認めた。
”今、我々にはコロネーションカップだけが残った。我々はセルティックであり、大会が欲している大観衆を集めることができる。これが唯一の理由さ。だって、我々はひどいシーズンを送りっていたから、フットボールに関しては期待されていなかった。
でも、面白いことに我々は、かえって失うものが何もなかったし、みんなが望んでいたリーグとカップの背中(獲得の可能性)が見えたことは、とても喜んでいた。
もちろん勝てるなんて考えもしなかった。でも、我々はどんなプレイをするかなんてことも一切心配してなかったんだ。
試合について丸っきり考えもしなかった。
だからと言ってリラックスしていたってわけじゃあもちろんなかったけど、リーグやカップでの成績のことは置いといて新たな気持ちになっているようだった。
しかも、新加入した選手は、マジで爆発してくれそうだったからね。
ジョックはいつもこの大会の決勝のことを”ニール・モーカンファイナル”と呼んでいたんだ。”
サポーターにとって、新しい君主にスコットランドのスポーツ代表として敬意を表するこの大会に参加することは、ある意味皮肉でしかなかった。
それはもちろん、セルティックのサポーターたちの中で、ロイヤリスト(君主制支持者)を見つけることは、カラハリ砂漠で、ムース(アメリカヘラ鹿)を探し回るエスキモーに遭遇するようなものだった。
本当にことあるごとに、いろんな試合において歌われる国歌斉唱(ゴッドセーブザクイーン)に対し、セルティックサポーターは、彼らがアイルランドの共和国制に同情を寄せていることの非難として受け取り、彼らは、国歌を妨害するようにチャントをかぶせてきた。
このような苛立ったリアクションは同じように、オールドファームの試合でも行われ、(レンジャーズがユニオンジャックを掲げゴッドセーブザクイーンを歌うので)もう一方の相手とトラブルを、ムッとしてからゆっくりと呼応するのではなく、喜んで、ロイヤリストの挑発に応じていた。
しかし、それよりも、ユニオンジャックと新しい女王の肖像画をクラブの支配的なエンブレムとした、街の反対側の宿敵に対して、この大会に参加してカップを勝ち取り、永久に保持することははるかに大事なことだったので、大会への参加は避けれらないものだった。
5月11日にステインはチームを率いてハンプデンパークでイングランドチャンピオンのアーセナルと初戦で激突した。
専門家たちの予想ではセルティックはノーチャンスだった。しかしアーセナルはセルティックほど、コンディションがフィットしていなかった。
ほとんどの対戦相手に畏敬の念を持たれていることに慣れているはずの、ガナーズ(アーセナル)は、60,000人のサポーターをバックにつけた積極的なセルティックのプレイに試合中のほとんどの時間を自陣深くでプレイせざるをえなかった。
アーセナルのゴールに、立ちふさがるGKジョージ・スウィンディンが、体のあらゆる部位を使って様々なショットを弾いいていなければ、何点入るかわからないような愚かな試合になるところだった。
ただ、ステインのお尻のポケットに入りそうな小柄なボビー・コリンズがこの試合唯一の決勝点をたたき出した。
明白で今起こる危険をマンチェスターユナイテッドは投げかけられたが、たとえ試合前に記者たちが、イングランド勢に夢中になっていたとしても、ほとんど影響をなさなかった。
セルティックは53分を過ぎて、前半のピーコックと後半に入ってモーカンのゴールで2-0とリードしていた。
ユナイテッドはようやく後半遅くになってスパートをかけゴツゴツしたセンターハーフ(ステイン)がポジションを変えたのにもかかわらず、77分にジャック・ロウリーがネットを揺らし追いすがった。
スコティッシュデイリーメール紙のWM ゴールによると、”ステインは土曜日の試合(マンチェスターユナイテッド戦)では、ロウリーに対して最初少し固かったし、足の怪我が完全に治ってたわけではなかったので、試合の最初はアウトサイドレフト(今でいう5バックの左サイドバック的な場所)のポジションにいたんだ。
しかし、ロウリーのゴールはちょっと遅すぎたね。セルティックはシーズンの9か月は、せせらぎのようにチョロチョロだったけど、この大会では大洪水のように誰もその勢いを止められなかったよ。
レンジャーズ、アバディーン、ニューカッスルユナイテッドそしてトットナムは別のトーナメントの山の他の試合で敗退していたので、セルティックは決勝でハイバーニアンと激突することとなった。
その5へ続く。