Hail Hail

第1章 太陽の地(原題:A Place in the Sun) その4

 

26か月前には、ステインは監督としてセルティックパークに戻ってきてもいず、選手たちも他でプレイしているか風で散り散りになっていたのかもしれないのだが、そんな選手たちは階段を登り終えピッチに登場し、監督であるステインの前に整列した。

彼ら以外の他の誰一人として、セルティックの選手になりえなかったかもしれない。
(彼らがここでセルティックの選手として迎えるのは彼らの運命で必然であった、のような意味合いだと思う。)
それは事実上、状況的にすべてのケースで簡単にそれぞれ適切な方向に向かわせることができた。

最上位に緊張する試合の間際、選手たちが初めての場所に集まっている中で、彼らの強い結束力が維持されているのは、ほとんど奇跡的だった。

キャプテンのビリー・マクニールは1964-65シーズン、ステインがセルティックに戻ってくる前のシーズンについて話してくれたことがあった。

”自分が25歳になった頃、クラブに対してポジティブなことが見いだせず、移籍を決心していたんだ。”

GKのロニー・シンプソン、彼はその時にニューカッスルユナイテッドに所属していたのだが、その時太ももに重傷を負い、二度とプレイできないだろうと言われていた。

MFのボビー・マードックはオーストラリアへの移住を考えていた。

バーティ・オールドはイングランド(バーミンガム・シティ)でプレイしていたが、ステインが来る前は、セルティックのチェアマンの、サー・ロバート・ケリーに対しての態度は変わらなかったし、ほとんどフォルカークへの移籍が決まりかけていた。

MFジョン・クラークは10代だったが、イングランドへ移住する前日、父親が瀕死の重傷の事故に遭っていた。

FWのスティービー・チャルマースは10代の頃髄膜炎にかかり、いつも致命的になる寸前だったが、闘病して治癒した。

ジミー・ジョンストンは、ステインがセルティックに来ていたにもかかわらず、最初の頃は彼とそりが合わなかったため、移籍するつもりでいた。

FWのウィリー・ウォレスはその時所属していたハーツがセルティックへの移籍を認めなかったため、カナダへの移住を考えていた。

これらのような様々な理由で、彼らはこの場所にはもしかしたらつどわなかったかもしれない。

しかし、今、たとえどんな宿命的な邪魔が入ろうとも、運命で繋がれた彼らは、スタジアムのの長いトンネルを一緒にくぐり抜け、ほんの2、3歩駆け上がるだけで彼らの人生が一変してしまうことに全く気づいていない集団を形成していた。

彼らが日の光のもとに現れた時、選手たちは目を細め、何度か瞬きをしてスタジアムの明るさに慣れなければならなかった。それはあたかも、太陽が数日前から選手たちが日の光を避けていたことに対して復讐をしているかのようだった。

ステインも同様に瞬きをした。しかし彼は暗闇から明るいところに出て光を調節する経験を多くしていた。

それは彼は自身の仕事のキャリアをラナークシャー(グラスゴー周辺の地域の総称)のアーノック炭鉱、地下1,000フィートから毎日確実に地上まで上がることからスタートしたからだった。

その頃の決定的な報酬はシンプルに生還することだった。

彼は自分の心からその日々が消え去らないことに感謝していた。

そして読者のあなたが、彼に関してのクイズを望むのであれば、彼はネズミに餌を与えていた暗闇の地下へどうやって頻繁に降りて行ったのか、というところから物語がスタートするだろう。

第2章に続く。