Hail Hail

第1章 太陽の地(原題:A Place in the Sun) その2

 

次の日の朝、選手たちは急にバスに乗せられ、トレーニングの為に、決勝の地、エスタディオ・ナシオナルに連れて行かれた。着くや否や彼らは対戦するインテルの選手たちがすでに試合に向けてせっせと準備(トレーニング)しているのを目の当たりにした。

そして、セルティックの選手たちが現れると、通常練習に対するプライバシーを守ることに慣れているインテルの選手たちは即座に見られることを嫌がった。不意に彼らはあたかも訓練された猟犬の群れのように、踵を返して、ピッチを片付け、ドレッシングルームへ向かい、練習を終えてしまったのである。

しかし、セルティックの選手がトレーニングセッションに現れた時、インテルの全選手は彼らの一挙手一投足を見るためにサイドラインにしゃがみ込んだ。

そして、セルティックの選手が明らかにインテルの選手の存在に気がつくほどに、インテルの選手がい続けることが、傲慢で挑発的な態度と解釈されていたかもしれない。

しかし、ステインも選手たちもそれに対して身じろぎもしなかった。

当然、彼らはハプニングで士気が救われたり台無しになった時でも、時に勝利を獲得してきたのである。

”たとえ自分達にとってハイリスクであってもその時、インテルの選手の前でトレーニングを行ったんだ” フルバック(サイドバック)のジム・クレイグは述懐した。

”試合に悪影響になることは簡単に予想できたからね。しかもこの時はボールを使ったトレーニングをしてショートパスやダッシュを取り入れたトレーニングも行ったんだ。

我々は約15ヤード離れて2列に並んで、列の最後の選手から動きを始め、ボールを反対の列の向かい合った隣の選手へパスしてつないでいき反対側の列の最後の選手まで達するというものだった。

選手はワンタッチでボールをコントロールし、他の列の最後にいる選手にロングパスを送り返して、それから列の終わりまで全力疾走する。

一つのミスパス、ファンブル、ミストラップすら許されず、もし起ころうものならステインの怒りを買いってしまうのであったが、その日は、まるでその練習を行うべき日だったかのように一つのミスもなく完璧だった。

ちょっとあっけにとられていたイタリア人チームを前にして、パスはテンポよく正確で、間違いなく素晴らしかったし、ステインは選手の周りを移動しながら勇気づけていた。

これはちょっとしたことであることはわかっていたが、練習を終えてホテルに戻ってきた時、この出来事が影響していたことで我々は上機嫌だった。

正直な話、ポルトガルではどんな状況でも我々は神経質だったと思う。
決勝で負けるのではないかと思っている選手が一人でもいたとは正直思わない。

シーズンを通しては我々はすべてにおいて非常によく訓練されていたので決勝がいつ来ても万全だった。
そう、決勝という名の響きは神経質になるが、だからと言って我々がモチベーションを下げる理由にはならなかったよ。”

退屈だけが唯一の刺激だったが、大胆な選手はそれをいいことにステインの目から逃れ,リラックスすることを勇気づけた。それを達成するために、あなたには、ドイツのコルディッツ収容所で脱出計画を準備した人々の独創性と勇気がなければならなかった。

ステインはホテルのラウンジでいつも戦略的な場所で過ごしていた。だから彼は我々の動きを全て把握していた。
誰が来て誰が出て行ったかまで。

彼の監視はあたかもセキュリティカメラのようだった。
誰かと話しているのと同時に、彼の視界の範囲で動くもの全てを理解していた。

彼がラウンジのどこに座るかは、キッチンでシェフが雄鶏の赤ワイン煮込みに何をしているのか、を知ることのように予測不可能だった。

ニールモーカンはステインのその感覚機能について正確に観察していた。

”彼は、廊下を舞う5ポンド紙幣すら認識して判別できたんだ”

しかし選手達は、ずる賢く彼の目から逃れる方法を見出した。
ある、午後の遅い時間、トレーニング終了後、トミー・ゲミル、バーティ・オールド、ウィリー・ウォレスの3人は、ステインが別の用事をしている間に抜け出し、タクシーでカシアスにある絵画のような小さな漁村にあるイングリッシュパブで、”ワトニーのレッドバベルビールを3,4パイント”とゲミルが話してくれたが、を飲んできて、こっそり戻ってきた。

試合前日にもかかわらずビールを飲んだことは、普通の男性ならば何の意味もないが、選手としては監督から壁に叩きつけられ、叱責をされてしまうぐらいの違反であると知っていた。

一方で、この陽気な3人の選手は単に彼ら自身が彼らの願望に抗えないということを示したにすぎなかった。それは、振り返ってみれば少なくとも、選手が人生最大の決勝に向けた形式的な準備でも、ガチガチに拘束されないことをステインの権限外で示した。

そしてこれは事実上、ステインが呼んだ攻撃的な弁護士を前に議論になるのだが、規律を求められる中でも健康的な息抜きだった。

おそらく、ステインが選手のある程度の自己-信念を植え付けていたことも示していた。彼らが監視外でうまくいっていたのにもかかわらず、飲酒が次の日にほとんど有害な影響を及ぼさないということを知っていた。

ジョン・ファロンによるとこれが完全にステインが試合に集中する方法だった。”ステインは決して他のチームに対して過剰に意識することはなかった。彼がすることは相手チームのことではなく自分の選手について話すことだった。彼らじゃないんだ我々なんだ。いつどんな時でもステインはどう自分たちがプレイするかやかましく繰り返した。そしてもし自分たちが理想のプレイができれば必ず成功するだろうと。”

今、誰が彼と議論する人がいるだろうか、選手は彼が話すことを全て信じていて彼は結果を出しているだろう?”

もちろんたまには”質問はあるかい?”とステインは言うだろう。その時バーティ・オールドとトミー・ゲミルが手を上げて1.2点主張したのを覚えている。ステインは数秒ぽかんとした目つきになった後、こういったんだ。
”俺が監督だ、チームは俺のやり方でやってもらう!”と、ただ彼らの主張を消すことはなかった。

彼は素晴らしいよ。 彼が断言していることの反対意見を認めることもせずに、彼のやり方をはっきりとインプットする
んだ。
僕にとっては老教師のようだったよ、つまり、”口答えするな!黙って座って話を聞け!”というようなね。”

ホテルでの単調な滞在を打ち破るため、彼らの周りにある贅沢な品々を無視しなければならないことから気をそらすため、そして選手に会おうと敷地内やホテル内に入り込んでくるサポーターから身をかわすため、試合前夜に全員で散歩を行った。

その散歩は予期しているよりも重大なものだった。

選手たちはぶらぶらと国道沿いを、スコットランド人ビジネスマンのブロディ・レノックスが何年も前に建てた家の方角に向かっていた。
レノックスは絶え間のないメディアやサポーターからの目から避けるため、選手たちを家に招待し、リラックスしてもらった。

選手たちが彼の家に着いた時、選手たちに彼の住居内での自由を与えた。スヌーカー(ビリヤード)で遊び、テレビでスペインとイングランドの国際親善試合を観戦した。

選手たちが帰った後はすっかり日が落ちていたのだが、このことが単純に悪夢になることへの後戻りになるようだった。(=今までの規律厳しいトレーニングと試合への準備が無駄になるように見えた)

ホテルのサインが見えた時モーカンは、ホテルへの帰り道をショートカットすることを決めた。

この地域でショートカットを取ることは古典的な悲劇の思い出のほら話で怖がらせるようなものではなかったし、モーカンの決定はそれほど距離を短くするものではなかった。

選手たちは、反対側はスキージャンプ選手を怖がらせるようなスロープになっている壁を横切るために柵をよじ登り、ホテルへ向かって進んだ。

明日人生最大の試合が待ち受けている選手たち全員は覚悟を決め、壁を登り、スロープを降りた。
彼らがどれだけの危険を冒したか認識したのは、彼らがどこから来たのか、上を振り返った時だけだった。

明日の一大事に向けた準備としては適当な通り道ではなかったが、幸いにも誰も足首を痛めたものはいなかった。

その3へ続く。