セルティックは世界でもユニークな特徴を持つクラブ
フットボールと地域、民族、文化はまだしも、宗教、政治までもが絡むと日本では眉をひそめられがちですが、ヨーロッパのフットボールクラブの多くが、(クラブというよりもむしろファンが)タイトルに挙げた事項と密接に関わっています。
セルティックはクラブ創立者のウォルフリード宣教師が、アイルランドからグラスゴーにやってきて貧困や無職で生活に困ったカソリック系住民のチャリティのために作られたクラブという背景から、セルティックパークには、スコットランド、グラスゴーにありながらスコットランド国旗(セントアンドリュースクロス)とアイルランド国旗をセルティックパークに掲げています。そのため、グラスゴーは元より、アイルランドにもファンは多く、さらに北米大陸や南半球などに移住して行った多くのアイリッシュ、スコティッシュ移民達の象徴的クラブとされています。
次に、クラブの正式名称がCeltic FCと示す通り、セルティック=ケルティックという北フランス、北スペイン、アイルランド、ウェールズにも受け継がれているケルト文化の象徴的クラブとしても扱われています。アイルランドとスコットランド、ウェールズはともにイングランドに併合された(ている)という歴史を共有しており、歴史的にイングランドに対する反抗心を持っているので、ヨーロッパ内でもイングランドと戦争経験のあるドイツやイタリアなど歴史的政治的に遺恨を残す国にとって判官贔屓のクラブとして応援されています。さらに宗教的にもヨーロッパ大陸の多くの国がローマカソリック教徒圏であることから、プロテスタントのイングランドやレンジャースより、カソリックの多いセルティックが応援されています。
さらには、グラスゴーを流れるクライド側沿いの港湾労働者や鉱山労働者が多数を占めていたセルティックは、社会主義的な風潮がまだ強かった60~70年代にセミプロの労働者のクラブであったにもかかわらず、並み居るヨーロッパの強豪を倒し、67年にUKで初めてチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)を獲得したことから他国の工業地帯の労働者で構成されたクラブからも尊敬を集め、連帯を深めていったクラブでもあるのです。
70年代?から貧困層ではドラッグが蔓延し、犯罪率や暴力事件も後を絶たちません。それというのも特に70,80年代のサッチャー政権の政策による傷跡はグラスゴーも深く、労働者の生活は破壊され立ち直るのに相当の時間を要しました。さらにはレンジャースとセルティックの関係と同意に捉えられがちなプロテスタント系住民とカソリック系住民同士のトラブルは今でも深刻です。北部アイルランドのベルファストと同様、トラブルを避けるためシティ中心地のパブやレストランではレンジャースの青とユニオンジャック、セルティックの緑と白とアイルランドフラッグを身につけての入店はご法度です。
そんなハードな環境に囲まれた彼らではありますが、非常に陽気でジョーク好き、「Banter」という聞きなれない単語がありますが「冗談やからかう」という意味を持ち、グラスゴーの人たちの代名詞です。
カソリック側もプロテスタント側もグラスゴーの人たちは過激なぐらいのジョークが大好きなのです。
セルティックの永久シーズンチケットホルダーの一人である名優ビリー・コノリーは役者としてだけではなくスタンダップコメディアンとしても有名だし、他にはケビンブリッジス、フランキーボイルなどもいます。
また、もちろんスコティッシュ、アイリッシュの人達として当然のごとく酒好きで歌好き。
今、巷で歌われているクラブのチャントやフットボールソングの多くは元祖がセルティックなのはご存知でしょうか。「You’ll Never Walk Alone」はリバプールに譲るとしても、Fields of Anthery, The Celtic Songはリバプール、エバートンでも歌われ、デペッシュモードのJust Can’t Get Enough、フラテリスのチェルシーダガーなどは他のイングランドのクラブでも歌われています。もちろん相互にパクリ合いをしているものの圧倒的にセルティックが元祖である曲が多いのも事実です。ミュージシャンを多数輩出するグラスゴーならではと言えるでしょう。
こんな気質を持ったセルティックファンは、いく先々で対戦チームのファンとも、地元の人たちとも仲良くなり陽気に盛り上がります。グラスウェイジアンアクセントと呼ばれるグラスゴー特有の強い訛りもなんのその、言葉は通じなくたって酒と歌と笑いがあれば彼らはどこへだって行けて誰とだって仲良くなれるのです。
Once a tim(celt) , alway a tim (celt) という言葉があります。これは、「一度セルティックのストリップに袖を通したらずっとセルティックファミリーの一員だよ」という意味。主に移籍してきた、もしくは移籍していった選手や監督等に使われる言葉だが、ごく一部の例外を除きたとえ活躍できなかったとしても、セルティックファミリーの一員として扱われるのです。
セルティックはカソリックのクラブと前述しましたが、実はクラブの歴史にプロテスタントの選手、監督が大いに関わっていたのです。例えば、1967年チャンピオンズカップを獲得した時の監督、ジョックステインは選手としても元セルティックでプレイしてましたが、彼はプロテスタントで子供の頃レンジャースファンでした。リバプールでKingの名をほしいままにしたケニーダルグリッシュもセルティックで10年間活躍しましたが、ゴヴァン(アイブロックスのあるレンジャースファンのエリア)出身のレンジャースファンで、レンジャースのテストを落ちてセルティックに入団してきた一人。
現在セルティックのコーチで70年代の9連覇にも寄与したダニーマクグレインも同様です。
あの、サーアレックスファーガソンも幼少期父親にレンジャースとセルティック両方の試合に連れて行かれてどちらを選ぶかと悩んだ挙句レンジャースに入ったという話もあるくらい。
逆(セルティック→レンジャース)はほとんどないのですが、セルティックは例えレンジャースファンだったとしても才能があれば入団させファンもセルティックの選手として接します。
ファンにしても然り、個人的にも何人ものプロテスタントのセルティックファンを知っていますが、セルティックファンであれば、国籍、宗教、人種に関わらず、家族友人がどこを応援してようと受け入れるクラブなのです。
また、ファンベースの多くが移民のクラブ(グラスゴーのセルティックファンの多くも自分たちはアイルランド移民であるという意識が強い)のため、ファン同士のコミュニティ(サポーター組織)が家族的付き合いをしています。アメリカやオーストラリアなど大陸に移住していったファンは特にその傾向が強く、家族同士、ファン同士が密接に連絡しあい移住した先でセルティックダポータークラブという名のソーシャルコミュニティを形成しています。
誰でもどんなバックグラウンドでもウェルカムだが、サポーター同士、サポーターとクラブの結びつきが強い、だから大多数のセルティックサポーターが胸を張ってこう言います。
「Celtic is more than a Football Club, Celtic is a one huge family」
Hail Hail